むかーし昔、もう30年ほど前の話。
私は横浜のとある中華料理屋でアルバイトをしていた。3〜4年ほど働いただろうか。
その店はファミレスチックな佇まいだったけれど、実は古くからタンメンを売りにしていた老舗のチェーン店。
そのためファミレスっぽいにも関わらず「昔からのファン」というお客さんが一人でふらっと訪れるのもそれほど珍しくないお店だった。
とある日。
ご夫婦で来店されたお客さんがタンメンと餃子を注文した。他にもいろいろオーダーされたかもしれないが、それは全く覚えてない。
そもそもこの話に必要なのはタンメンと餃子だけで、チャーハンを頼んでいようが青椒肉絲を頼んでいようが大勢に影響はないから問題ない。
で、その話。
その日の私はホール担当で、布巾とお盆を持って客席を徘徊していた。
すると突然、そのお客さんから呼び止められたんだ。
「タンメン、味変わったね」
ちょっと残念そうに、ご主人らしき人がそう呟いた。
「長いこと召し上がってくださってるんですね。やっぱり時代と共に変わってますか?」
まだハタチそこそこだった私には、その方の残念さ加減をしっかりとは認識できなかったかもしれない。
でも、精一杯の誠意を持ってそう答えた。
「うん。やっぱり変わったよ。昔の方が美味かった」
そりゃそうだよね。
昔の方が美味かったと思うからそう言うんだ。
今のが美味いと思えばそうは言わない。
だから私は素直に謝った。
「すみません」
実はそう言いながら・・・。
「そりゃしょうがないよ。中華だもん」
「昔と比べなくたって、鍋を振る人間によって多少は味変わっちゃうもん」
「ガチのファミレスみたいにセントラルキッチンで作ってる訳でもないし、頑固親父が一人で鍋振ってる訳でもないから『製造公差』ぐらいの認識で勘弁してくれよ」
という不届きなことも思った。
まぁバイトだし、心の中でそう吐き捨てるくらいは大目に見てほしい。
なんせ素直に謝ったんだから。
少なくとも表面上は。
でも、その感情は次の一言で一変する。
もちろん感情が変わっても態度には出さない。ハタチというのは、その程度の分別はわきまえた年齢だ。
その一言とは。
「でも、餃子は変わってない」
・・・・・・・・・・。
「そうですか。ありがとうございます」
そう言って微笑んで、和やかにその場を離れた。
内心は違う。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ????」
である。
このお客さん、「餃子は変わってない」って言ったよ。
言うに事欠いて「餃子は変わってない」って言っちゃったよ。
あのね。
餃子、変わりましたけど?
働いてる人間が言うのもなんだけど、昔の餃子のが圧倒的に美味かったですけど?
その差は「鍋を振る人間が・・・」なんて微妙なものではなく、相当な舌音痴でも明確に分かるくらいのレベルですけど?
ちょうど私が働いている途中で、そのお店の餃子が変わった。残念ながら美味くなくなった。
いや、違う。
「美味くなくなった」は語弊がある。
昔に比べたら味が落ちた餃子でも、十分に美味かったからだ。
働いてる人間が「何かお土産に持って行こう」という時に、選択肢に上げるくらいのレベルだった。
私もバイトを辞めて就職した後にも、お呼ばれした上司の家にその店の餃子や焼売をお土産に持って行ったくらいだ。
それでも、昔の方がもっと美味かった。
昔というほど昔ではない。
たまたま私が働いている間、3〜4年の話だ。
前の餃子は皮が厚くてプリプリしてて、餃子単品で主食にしてもおかずにしても満足できるくらいものだった。
値段は確か5個で350円。
働いている人間が賄いを頼む時にも、おそらく最もオーダー率が高い人気メニューだ。
タンメン・餃子・ライスという組み合わせが王道の賄いだったと思う。
それだとちょうど賄いの上限1200円にピッタリだからだ。
少し話が逸れた。餃子の話。
では、それほど美味しく、それほどの人気メニューだった餃子をなぜ変える必要があったのか。
それは本当に苦肉の策だったんだと思う。
とはいえ至極真っ当な経営判断だったんだとも。
なぜなら前の餃子は、焼くのにものすごく時間が掛かったから。
そして多くのお客さんは、餃子を焼くのに掛かる長い時間を許容できないから。
中華料理屋で「とりあえず餃子とビールね!」と頼む人、いっぱいいるでしょ?
正直言わせてもらうと、それね、間違ってるから。
「とりあえずビール」は合っているけど、「とりあえず餃子」は無理だから!!
美味しい餃子はね、焼くのに結構時間が掛かるんだ。
皮がプリプリして、噛むと中から肉汁がジュワーっと出てくる美味しい餃子は、ビールと同時になんか出せないんだ。
逆にビールを待ってくれるなら別だけどさ。
ハタチの私も、何度お客さんに怒られたか分からない。
タンメンと餃子、それにビールを頼んだら、大抵の人間が「まずは餃子を頬張ってビールを煽り、〆にタンメンだな」って考えるのはよく分かる。
だから最後に餃子が出てきたら、割と本気で怒るお客さんが少なくはなかった。
でも、シンプルに調理に掛かる時間で言えば、ビール < タンメン < 餃子なんだ。
で、その苦肉の策が登場した。
新しい餃子は皮を薄くして、全体を小振りにしたものだった。
これによって、焼くのに掛かる時間は大幅に短縮されたんだ。
餡は同じ、もしくはその皮に合わせてアレンジしているかもしれないけれど、そもそも美味い。
だから「不味い餃子」にはならなかった。
もともとそれだったら、十分に美味い餃子だ。
でも、前のプリプリと比べると、やっぱり物足りなさがあった。
そして値段も、小振りにした分安くなった。
確か350円から230円になったんだ。
ある意味、本当に真っ当で、誠実なお店だったんだと思う。
「餃子は変わってない」って言ったお客さん。
餃子、変わったよ。
それも誰の舌でも明らかなくらい、明確に。
ああ、この人は『タンメン、味変わったね』って言いたかっただけの人だったんだな。
若かりし頃の爺は冷ややかにそう思った。
だから今も、ネットの口コミはあまり信用していない。
わざわざ書き込む人の中には、「味変わったね」って言いたいだけの人が少なからず紛れているという気がしてならないから。
口コミって、本来であれば友達伝手とかで広まるもの。
そういう意味では、いわゆる口コミサイトの「口コミ」は本来の「口コミ」とは違うものだから。
だから私は、自分の直感を信じて今日も初見の店に怯まず足を踏み入れる。