10年ほど前にアカウントを作ったまま放置していたTwitterを再開したのは、このブログを始めたのと同じ時だった。
当時は「バイク仲間と繋がりたい」なんて発想はまるで無く、単純に、乗り始めたばかりのGN125-2Fに関する情報を集める術として思いついただけの話。
以来、バズる事もなければ炎上する事もなく、平穏無事なTwitterライフを満喫している。
が、そもそもソーシャル・ネットワーキング・サービスとかいうジャンルのインターネットに(それ以外のインターネットにも)疎い私がTwitterと聞いて思い出すのは、一時期バイトテロだのバカッターだのと言われて燃え盛った事象の数々だ。
挙げた行為は非常識極まりないし、それに対する同情の余地は1ミクロンとて無いのは言うまでもないけれど、と同時に、一歩間違えたらあっという間に火だるまにされ、その後の人生すら左右されかねない非情な現実を見せつけられ、それに恐怖を覚えたのもまた事実だった。
そこにいるのは、正義も価値観も異なる多種多様な人間。例え同じ人種であっても、だ。
仮に酔っ払った勢いで政治的なツイートでもしようもんなら、寝ている間に黒焦げにされる可能性もある。
異なる思想を持つ誰かに。
そこではもちろん、「泥酔していましたすみません」なんていう言い訳は通用しない。
件のツイートをこっそり削除するなんて、それこそもってのほかだ。
それほどの緊張感に満ちた世界。
Twitterを始めるということは、可燃性のガスが充満した空間で火花を散らす、切った張ったの鉄火場に足を踏み入れること。
その覚悟が無ければ触ってはいけない世界だと思っていたのだ。
Twitterを再開しようと思った時も、生身でそこに飛び込む勇気はなかった。
そこで考えたのがキャラ設定だ。
万が一の時に本人を特定されないように、という事ではなく(いやもちろんそれも多少は考えたんだが)、「火事場に足を踏み入れるなら、燃えにくいキャラが必要だ」と。
できるだけ人畜無害をアピールする、いや違う。
そもそもアピールなんかしちゃいけない。
ここTwitterにおける防火性能の高さとは、イコール「目立たなさ」だ。
背景の一部を構成するモブ。暴徒という意味の「mob」ではなく、いわゆるモブキャラとして、この世界にひっそりと暮らす。
そんな役割を担うキャラとして生まれたのが、このブログの主人公でもある「風来爺」だ。
そして中の人である私は、その彼に「初老」で「温厚」、かつ「メタボ気味」いう設定を与えた。
特に根拠があったわけでもないし、熟考したわけでもない。
けれど、「なんとなく燃えにくそう」と思った。
物静かな性格。
基本的に温厚で声を荒げることはない。
年齢は定かではない。が、ブログやツイートの端々からアラフィフであることがうかがえる。
爺というからには男性だろう。
いつも何かしらの食べ物、それもかなり重めの物を食っている。
食べ過ぎてベルトが千切れているツイートを合わせて推察すると、おそらく良く肥えた個体だろう。
そして何より、相棒となったGN125-2Fとのリターン生活を心の底から楽しんでいる。
そんな人物だ。
50歳という年齢は初老というには少し若すぎたし、肥満キャラを裏付ける行動も今一つインパクトに欠ける。
残念ながら当初の想定とはすでに多少の齟齬が生じているけれど、目的自体はかなり高い水準で達成しているのではないかと自賛している。
省令準耐火程度の「燃えにくさ」を有した人格として、性能をいかんなく発揮しているのではないか、と。
さてさて実際の中の人について、だけれど。
これについてはここで言及するのは避けようと思う。
すでにご存知の方もいらっしゃるけれど、やはり風来爺は風来爺として、Twitterとブログの中だけに生きる人格として「GNと風景だけ」の写真とともに存在し続けたい。
だからこの先、中の人である私がお目に掛かった時に、想像と違う生き物が現れたとしても決して怒らないでほしい。
お姫様の画像が実物と全く違った時のように、火を放ったりしないでください。
温厚な紳士どころか、「三度の飯より人の悪口が好き」というクソガキが出てくるかもしれないし、もしかしたら妙齢の美女かもしれない。
いずれにせよ、こちら側の世界に存在しているのは「風来爺」という名の初老のデブなのだから。