「ソロキャンプ」という言葉が流行語に選ばれたと聞いて、何かがものすごく腹落ちしてしまった。
あまり嬉しくはないけれど。
確かに聞いた瞬間は、多少の違和感を感じた。
キャンプが流行っているのは分かっているし、中でもソロキャンパーが急増したのも間違いない。
かく言う私も去年から再開したリターンキャンパーだし、流行に乗っかって、この片棒を担いだ一味だ。
でもやはり、一瞬だけ思った。
「流行は分かるけど、だからと言って流行『語』って・・・」。
ここで言う「流行語」とはもちろん、毎年恒例の「ユーキャン新語・流行語大賞」のこと。だからすぐに納得がいった。
なんせこの「流行語大賞」が、流行った事柄や話題になった人物の名称を「流行した言葉」と無理やり解釈して賞を与えるのは、なにも今に始まったことじゃない。
であれば納得。
ソロキャンプの流行という事象を、「ソロキャンプという“言葉”が流行した」と曲解してもなんの不思議もない。
確かにキャンプは流行っている。
ゆるキャン△がヒットしたこと。
YouTubeでのキャンプ動画が人気を集めたこと。
そんな要因が重なって、もともとブームの兆しは見えていた。
そこに来て今年のコロナ禍。
いわゆる「3密」を回避できる余暇の過ごし方としてキャンプが認知されたことも流行を大きく後押しした。
単なるキャンプではなく、「1人でのキャンプ」が流行語に選ばれたのもこのためかもしれない。
始めはこんなふうに思っていたけれど、ふと、数年前の流行語の記憶とリンクして、ものすごく腑に落ちてしまった。
先ほどつらつらと綴ったコロナ禍との関連性もあながち間違ってはいないだろう。
が、気付いてしまった。
本質はそこじゃない。
今回の受賞はソロキャンプの流行を無理やり流行「語」として解釈したわけではない。
ソロキャンプという言葉は、確かに流行語なんだ。
数年前の流行語の記憶とは、「ナイトプール」だ。
正確には、流行語大賞を受賞したのはナイトプールではなかった。「インスタ映え」だ。
言うまでもなく、写真の共有をメインに据えたSNS「Instagram」で、より多くの「いいね!」を獲得することができるシーンを切り取ること。
ひいては、それを目的とする行動原理のこと。
実際には、後者の意味合いで使われることが多いのではなかろうか。おそらくは皮肉を込めて。
そしてその当時、「インスタ映え」の象徴であったのがナイトプールだった。
ナイトプール。
その名の通りプールの夜間営業なんだけれど、これがインスタ映えの代名詞のように取り上げられたのには訳がある。
暑さの落ち着いた夕方から夜にかけてプールを楽しむ、という本来の趣旨はそっちのけで、「こんなに充実した生活を送っている私を見て!」という自己承認欲求を満たすツールとしてナイトプールがもてはやされたからだ。
舞台になり得るのは、都心にあるような高級ホテルに限られる。
必要なのは煌びやかな背景と、そのプールが持つネームバリューだから。
中でも“インスタ映え”スポットとして名を馳せた撮影場所には、長蛇の列までできていたと聞く。
プールそのものを楽しむなんてことは二の次、三の次。
楽しんでいる姿、もっと言えば「楽しんでいる“ように見える”姿」を写真に切り取ることの方が、よほど重要な目的だった。
「インスタ映え」が流行語大賞を受賞し、その象徴としてナイトプールが取り沙汰された背景には、そんな皮肉が込められていたはずだ。
ナイトプールが流行語に選ばれた訳ではないけれど、当時のナイトプールと今回のソロキャンプに、多少なりとも共通点を見出してしまう。
ソロキャンプが流行っているのは確かだけれど、それと同時に、ソロキャンプというワードを使いたい層が一定数存在すること。
ナイトプールに代わる自己承認欲求満足ツールとしてもソロキャンプが存在していること。
その中に、私も含まれていること。
それを認めざるを得ないと気が付いた。
今は間違いなくキャンプブームだ。
私が初めてソロキャンプをした30年前も、形は違えどブームだった。
北海道を旅するツーリングライダーは今よりももっと多かっただろうし、テントを背負って旅をするバックパッカーというスタイルも定番だった。
私がそれに手を出したのも、流行ゆえに多くの情報を得ることができて、それに魅力を感じたから。
端的に言うと、流行りに乗っかったわけだ。
でも矛盾することに、私は昔から流行に乗るのが好きじゃない。
もっと正確に言うと、自分が「流行に乗る人」と他人から認識されるのが、ものすごく恥ずかしい。
だから今回も、「ゆるキャン見てキャンプを始めたわけではないし、ましてやヒロシちゃんねるの影響でもない。昔やってたのを思い出して再開しただけ」と言い張りたかった。
でも実際には、再度ブームが到来して情報に触れる機会が圧倒的に増えたことが、キャンプを再開する動機付けになっているのは間違いない。
さらに冷静に考えてみると、自分が「ソロキャンプをする人」というアイデンティティで他人から認識されることを、昔も今もとても魅力的に感じている。
実際にキャンプを楽しんでいるのはもちろんだけれど、結局のところ「ソロキャンしてる俺ってカッコ良くない?」的な意識がないと言ったら嘘になる。
テントを張ってはせっせと写真を撮ってTwitterにアップする。
ソロキャンプという流行語をコミュニケーションツールとして使っている何よりの証拠だ。
ランタンやシングルバーナー、そして寝袋が20数年落ちであること。新しく買ったテントもインスタ映えしないものを選んだこと。そんな情報を無駄にアピールする。
それは、「流行に流されてキャンプしている訳ではないですよ」感を演出するための悪あがき。
私は完全に流行りに乗っかっているし、流行語としてソロキャンプという言葉を使っている。
数年前のナイトプールと、今回のソロキャンプ。
たまたま私はナイトプールに興味を抱かなかっただけのことで、あの頃冷ややかに見つめていたものと同様の狂騒にはまっているのかもしれない。
おそらく私だけでなく、多くの人が。
もうそろそろ素直に認めよう。
私にとって、ソロキャンプは流行語だ。
私も、ソロキャンプって言いたい人間なんだ。